川 崎 | 六郷の渡しから川崎へ 麦の別れ | |||
多摩川は六郷川といった。川縁には偉人が輩出される。この六郷川では田中丘隅。丘隅は幕府から六郷川渡船権の許可を得て川崎の財政再建をなし、川崎の繁栄の基礎を築いた。
六郷の渡し場から、宿の江戸口に至ると河崎万年屋跡碑がある。名物奈良茶飯は東海道中膝栗毛にも描かれ、皇女和宮、ハリスも立ち寄ったとか。ここから大師道を歩んで厄除け弘法大師の川崎大師に寄り道。参道の老舗松屋総本店では、有名な「とんとこ飴切り」がリズミカルな音を立てていた。やがて、旧東海道に戻り、いさご通り商店街を経て日進町へ。ここに日進町町内会館「麦の郷」芭蕉ポケットパークがある。芭蕉51歳。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」。芭蕉はこの句を詠んで、この年に大坂で死去。少し先に行くと京急八丁畷駅。駅前に芭蕉句碑。踏切を渡ると八丁畷慰霊塔が。江戸時代の人骨が夥しく出土して、その霊を供養しているとか。 |
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六郷橋を渡るとそこは川崎。明治天皇らは舟を並べた板橋を渡って江戸入りされた。 | ||||
現六郷橋西ここを左に折れる | 万年横町・大師道石碑 川崎宝物シートの説明 |
通称 川崎大師。正しくは真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺 | 東海道川崎宿史跡巡りGuide[拡大] | |
一行寺(お閻魔様)跡川崎宝物シートの説明 | 川崎の今日を築いた田中丘隅本陣跡。 | 宗三寺 宝暦の大火で焼け出された。遊女の供養塔がある。 | 旧東海道。緩やかなカーブ。 問屋(といや)場跡が見える。 [拡大] |
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旧東海道いさご通り商店街 | 作詞家 佐藤惣之助生誕碑 古賀政男とコンビ | 砂子(いさご)の里資料館 | 芭蕉ポケットパーク[拡大] hp説明 | |
何と自販機に芭蕉(芭蕉ポケットパーク) | 門人たちの別れの句が埋め込まれています [拡大] |
杉風が別墅にうつるに草の戸も…のあの杉風の句です。うまくないなあ。[拡大] | 句碑 麦の穂をたよりにつかむ別れかな [拡大] 伊賀柘植に帰るに際して八丁縄手で詠んだ句 |
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芭蕉の句碑説明 [拡大] | 八丁縄手から江戸時代の夥しい人骨が出土. [拡大] |
無縁仏として供養 [拡大] | 京急八丁畷駅 旧東海街道は京急沿い[拡大] |