汽笛一声  新橋~品川間
 

大木戸辺りで止まっている。明治5年、学制頒布のこの年に新橋・横浜間の鉄道が開通している。維新わずか5年。汽笛一声新橋を♪で鉄道唱歌は始まるが、実際は太鼓一発汽笛一声で、区間も汐留・桜木町間だった。この1番列車は9輛編成で、陛下が3車に(前2輛は近衛兵)4車に西郷が、勝は5車。以下幕末の英傑、外国要人らが車中に鎮座した。何と、この鉄路は汐留を発して、浜松町辺りから薩摩藩邸を避けるように江戸湾に進入。大木戸東側海上の築堤の上を走ったのだった。西郷は軍事費優先で鉄道敷設に乗り気ではなく、それで薩摩藩邸辺りを避けたのだそうだ。かくして汽車は旧東海道品川沖を走る。難工事だった六郷川橋梁を抜けて、現京急神奈川駅辺りから湾内を突っ切るように桜木町に向かった。この築堤の陸側湾内は、築堤工事を請けた高嶋嘉右衛門に工事代金として払い下げられ埋立地にされた。現横浜高島町である。

 新橋停車場を再現した鉄道展示館 汐留銀座寄りにある
  ついでながら、すでに著者中西隆紀氏は物故者になっているが、一時、沼津に住んでいたことがある。神田を拠点にしたライター。神保町の居酒屋兵六に出没。突然の訃報に兵六で偲ぶ会が開かれたとか。
日本の鉄道創世記 中西隆紀 著 河出書房新社