広重の日本橋  
  広重の日本橋には大名行列や天秤棒を担いだ魚行商等が描かれている。

こちらが東海道で、橋向こうは中山道。
件の魚行商は、橋のたもとにあった魚河岸の平田舟で仕入れ、
さあ商売へというところだ。 

日本橋河岸は関東大震災を機に移転が画されたが、
反対論の前に10年を要して1935年にようやく築地移転を見た。
後年、河岸跡地に「日本橋魚河岸記念碑」が建立され、
竜宮城の乙姫が鎮座されている。海の魚が集まる所とか

三越側からの光景か銀座側からか  
   日本橋川に架かる現在の橋梁は花崗岩でフラット。
その中央に日本道路元標が埋め込まれ、
日本橋を起点にした五街道が整備されている。
整備をなしたのは4代将軍家綱で端緒は家康だった。
それが今に続いている。
日本橋上で、車のこないのを見計らって、
それとばかりに道路中央に。
そこにこの道路指標があった。危険歩行の極みだった。
日本橋中央の道路元標  
   日本橋界隈は江戸府中第一の繁華街。
日本橋川上流、一石橋付近に「迷子標」が現存している。
面白い。スマホのない時代、迷子は迷子標へ連れて行け。
当時の知恵だった。
江戸の知恵 迷子標