<芥川龍之介 「侏儒の言葉」より>

修身


 道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
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 道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺(まひ)である。
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 (みだり)に道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。妄に道徳に屈するものは臆病(おくびょう)ものか怠けものである。
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 我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は(ほとん)ど損害の外に、何の恩恵にも浴していない。
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 強者は道徳を蹂躙(じゅうりん)するであろう。弱者は又道徳に愛撫(あいぶ)されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
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 道徳は常に古着である。
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 良心は我我の口髭(くちひげ)のように年齢と共に生ずるものではない。我我は良心を得る為にも若干の訓練を要するのである。
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 一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。
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 我我の悲劇は年少の為、或は訓練の足りない為、まだ良心を(とら)得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。
 我我の喜劇は年少の為、或は訓練の足りない為、破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。
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 良心とは厳粛なる趣味である。
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 良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は(いま)(かつ)て、良心の良の字も造ったことはない。
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 良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持っている。そう云う愛好者は十中八九、聡明(そうめい)なる貴族か富豪かである。