Takuの折り折りに     
令和元年
11月12日   この道を行く人なしに秋の暮  はせを

 (この道や行く人なしに秋の暮) ※其便で改作
 
    「この道をいく人なし」という孤独感。この孤独感と秋の暮れがぴたりと収まる。秋の暮れのもの寂しさは、古来読み込まれてきた。浦の苫屋の秋の夕暮れも鴫立つ沢の秋の夕暮れも真木たつ山の秋の夕暮れも、寂寥感と秋の夕暮れが一体となった世界を描いている。前回の「十団子も小粒になりぬ秋の暮れ」許六の句も同じだ。事実上の辞世の句と言われている、この句は江戸蕉門は離反し、名古屋は分裂派閥争い、大坂も主流争い、故郷伊賀も「軽み」をめぐって停滞。蕉門が崩れていこうとしている中で芭蕉が抱いた孤独感や寂寥感が主題でそれが漂う句になっている。元禄7年9月23日、西暦1694年11月10日郷里の意専、土芳充てに京屋の飛脚に持たせて送った書簡の中にあった句である。いずれも俳諧発句であるが、( )内の其便の方が人口に膾炙している。  
 10月18日 秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寢どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさえあはれなり。まいて雁などのつらねたるがいちちひさく見ゆるは、いとおかし。日入りはてて、風の音、蟲の音など、はたいふべきにあらず。
底本 三巻本系統 陽明文庫蔵三冊本 枕冊子第一段 田中重太郎校註 日本古典全書 
下線は管理人
 
 
  「十団子も小粒になりぬ秋の暮れ」許六のこの句も秋の暮れでなくてはおさまりが悪い。秋の夕暮れにはどことなく物寂しさが漂う。小粒が生きている。枕冊子の第1段、秋の項で、やはり清少納言と感心するのは、「三つ四つ、二つ三つ」というリズミカルな数字の並べ方だ。石がけに子ども7人腰かけてふぐをつりおり夕焼け小焼け 白秋のこの歌の7もいい。情景にぴたりとする数字があるものである。雨ばかりの10月。季節は間違いなく神無月から霜月に向かっている。   
9月13日   野分のまたのひこそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹きおられたるが、萩、女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうにこまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。…                                             枕草紙二百段  
   この段の枕草紙の最初の一行を千葉県の人たちや電車ストップで混乱した街々の人にぶつけたら物が飛んできそうです。野分は台風。台風はtyphoonにタイフウを充てたことばで、古くは「野分」と呼んでいました。その野分の翌日。立蔀、透垣、前裁の乱れ、大木の倒壊等々は今も昔から変わらぬこと、しかし最近の台風は度が過ぎていますね。清少納言は野分の翌日にまじめで美しい人が髪を乱して現れたり、「むべ山風」等と言ったりしている様を描いていますが、この風情、男心がくすぐられますね。17、18歳頃で大人には見えないような娘も乱れて現れるとやはりなまめかしい。これまた同感。  
 8月13日 閑かさや岩にしみいる蝉の声 芭蕉  
   この句をカナダ人は理解できないということを言語学の冊子で読んだ記憶があります。カナダ人ならずとも、「閑か」と「蝉の鳴き声」は論理的につながりません。しかしながら、日本人は納得です。立石寺の深閑とした雰囲気、苔むした巌。佳景寂寞として、心澄みゆくのみ覚ゆ。「岩に巌を重ねて山として、松柏とし旧り 土石老いてこけなめらかに岩上の院々…」 「閑かさや岩に…」とつながっていく情緒の中に蝉の鳴き声を置きます。欧米人ではこの情緒と蝉の鳴き声はつながらないのだそうで、蝉の鳴き声はmake noiseで通じるといいいますから騒音としか聞こえないようです。この句はイ段音の多用と連続が静寂さを音韻上からも醸し出しています。この蝉は何か、アブラゼミか、ミーミーゼミか学会でも争点になっているそうです。我が家の周りはアブラゼミが騒いでいますが。
    
 
     
7月13日  荒海や佐渡によこたふ天の川 芭蕉  
  奥の細道の代表的な名句ですが、奥の細道には旧暦6月から7月にかけての16日間の記述がありません。この間の詳細は曾良の随行日記で知ることができます。芭蕉一行は、村上に一泊して、水路等で湊町新潟へ到着。そこから海岸線ではなく、内陸路をとって越後の国弥彦神社に参拝。そうして日本海に面する出雲崎に到着したのが旧暦7月4日。ここで詠んだのが、この句ですが、出雲崎から佐渡に天の川がかかることはなく、この日は雨だったとか。しかも、夏から秋にかけての日本海は穏やかで「荒海」ではないと言われています。ですから、この句は写生した句ではなく、全くの芭蕉の創作句です。「海は荒海 向こうは佐渡よ」という文部省唱歌がありましたが、江戸時代も芭蕉のイメージも同じだったということでしょう。物知りが、芭蕉の残した「銀河の序」を読むといいと教えてくれました。流人の島佐渡すなわち荒海が似合うということですね。荒海に、佐渡に横とう天の川はピタリ。現役時代、教室で教えました。   
6月28日  五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉  
   本日は6月28日。旧暦5月26日にあたる。この句は、旧暦5月27日、山形県大石田の俳人高野一栄宅で催された句会での連歌の発句(ほっく)として芭蕉が詠まれたのだそうです
 
「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし 。とあります。

はじめ、芭蕉は「あつめて涼し」と詠んだそうですけれど、実際、船上の人になって、その水かさと流れの速さに「こわさ」を感じたが故に「あつめて早し」としたのでしょう。「舟あやうし」に心情がこもっています。名句です。
 
 
     
   皇紀2679年5月1日天皇陛下御即位奉祝記念 神田祭  
 5月11日   神幸祭 附け祭り
日本三大祭り、江戸三大祭りとも言われている、神田祭が令和元年5月9日から始まった。江戸時代は家康が戦勝祈願し代々の将軍が上覧したために、御用祭りとも天下祭りとも言われている。偶然にも2年に一度の本祭りと令和元年が重なった。写真は11日の神幸祭日本橋三越前の様子。ここで、神輿に附け祭りが合流する。
 8時に神田明神を発った衣冠装束に身をまとった人たちと大黒様の一之宮、恵比寿様の二ノ宮、平将門の三之宮に諫鼓山車、獅子頭山車等が続いて、将門塚に11時。ここで奉幣の儀が行われる。将門は京でさらし首になったが、その首がこの地芝崎村(当時)に飛来したとか。鎮魂の祭りでもある。
 三社祭りは下町庶民の祭り。17日が見所があるが、18日は神輿渡御。町内の本神輿と子供神輿が浅草寺正殿前でお祓いを受ける。
 
     
5月 3日  初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす
  
万葉集巻五 梅花歌三十二首并せて序
 
令和の時代が始まりました。この巻は太宰府中心。序文は「天平2年正月13日に、師の老の宅に萃りて宴会を申く」で始まり上の文言につながります。令月。よい月、めでたい月と解説されていますが、令の字の由来は神に跪く。さて議論百出でしょう。この月は現在の2月。あー、新陛下は2月23日にお生まれ。富士山の日でしたね。元号では初めての万葉集出典とか。作は大伴旅人。大の酒好き。酒壺になりたいと言ったとか。いいね   
平成31年2月  こちふかは匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春名わすれそ  
2月12日太宰府天満宮に参拝してきました。如月は春。春といえば梅。
 こちふかば、匂ひおこせよ の歌は菅原道真の歌。太宰府天満宮は梅の季節。この歌の碑が入り口にありました。花が桜になったのは平安時代に入ってから。奈良時代は花といえば梅でした。
 
   ひとはいさ こころもしらず ふるさとは 花ぞ むかしの香ににほひける  
     
平成31年1月  何となく今年は   
 平成31年が始まり、平成の時代が終わろうとしています。平成とは何であったろうと思います。バブルがはじけ、阪神淡路大震災、3.11東日本大震災、そして熊本、広島、倉敷、大阪等等災害による甚大な被害を受けた時代、もう熱帯にあったのかという猛暑と寒波。それに莫大な国家予算の借財に、優勝劣敗の新保守主義を持ち込んだ小泉政権によって、我が国が綿々と大切にしてきた社会のあり方がぶち壊わされ、小選挙区制度という馬鹿げた制度で政治体制を変えたがために独裁型政治が誕生。いやはやである。  
平成30年12月  冬はつとめて。いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。  
枕草子の冬の描写は、冬のきびきびとした女房たちの動きが想像できて面白い。この冬の早朝の感じは、私の朝の散歩で感じる冷たさと通ずる。ピーンと張り詰め、耳も痛くなるような朝である。その朝景色は美しい。東の空がオレンジ色に染まり雪を全面にかぶった富士が金色に輝いている。木立も凛として影を欺かずだ。1時間もすれば、ゆるくぬる火もていけば、火おけの火も灰がちになり手わろし、である。きびきび、凛として、固く、カチンと音がしそうな早朝こそ冬らしい。  
平成30年11月  秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに   
有名な枕草子冒頭の部分。本日11月26日は冬。しかしながら旧暦では10月19日で晩秋。朝の散歩では陽が昇るのが遅く、本県では6時31分。日の入りも16時37分。
烏の帰巣など見たことがないし、雁もまた然り。清少納言が秋を描いたのは内裏から見た西山方面、太秦の方向であろう。秋の描写では、この烏の三つ四つ、二つ三つという並べ方が何とも言えぬリズムを醸し出している。秀逸。 2018.11 
 
平成30年10月  野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ   
立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。
大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうにこまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。… (枕草子第189段)
 
いやいや、今年の台風はこんなではないな。荒かりつる風の仕業とは覚えね。同感。どこかで、だれかが操作しているような台風だった。犯人は誰だ!   
平成30年 8月  朝顔につるべとられてもらい水 千代女   
人口に膾炙している加賀の千代女の名句だが、何とも描かれている内容に心が横を向く。朝顔とは美人の意味もある。釣瓶は釣瓶でつるべ井戸。その井戸の綱に朝顔の蔓が巻き付いて、井戸の水を汲めないのでもらい水したという句だが、うーん、なんとも作者のポーズが過ぎる。美人に絡まれてなど読もうものなら、この!と肘をつつきたくなる。今年の立秋は8月7日,本日から。やや例年に戻ったようで涼しくなっている。不思議なものである。  
平成30年5月  弥生も末の七日   
芭蕉の奧の細道への旅立ちは「弥生も末の七日」つまり旧暦3月27日。本日グリゴリオ暦で5月9日は旧暦3月24日。5月2日が八十八夜。5月5日は立夏、旧暦3月20日だ。芭蕉の旅立ちは初夏だった。昨日、本日の気候は3月並と報じられたが、それは旧暦1月から2月初旬のこと。寒いわけである。ついでながら旧暦では、月の終わりはつごもりで、暗闇。1日は朔日で月が出始めて、3日は3日月。15日が望月で満月。月明かりの日だ。芭蕉の旅立ちの日は暗闇に近かった。とまれ、初夏。次第に薄物の季節になっていく。   
平成30年4月  春過ぎて夏来たるらし   
   春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山
        
万葉集巻一 二十八 天皇 御製歌 (持統天皇

 
  4月1日、すでにソメイヨシノは散り始め、我が町沼川縁は葉桜に混じって八重桜が満開だ。そして、わずかだが、御衣黄桜も満開になっている。ソメイヨシノは散りが早かった。しかしながら、ソメイヨシノが散ってもすぐに次が華やぐ。それは自然の摂理。沙羅双樹の花のいろ、盛者必衰の理を表すというところか。寒暖の差激しく、これは三寒四温で春季の特徴。でも、27度だという。夏だね。   
     
     
     
     
     
     
     
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