過去の「折り折り」
何となく今年は
平成31年が始まり、平成の時代が終わろうとしています。平成とは何であったろうと思います。バブルがはじけ、阪神淡路大震災、3.11東日本大震災、そして熊本、広島、倉敷、大阪等等災害による甚大な被害を受けた時代、もう熱帯にあったのかという猛暑と寒波。それに莫大な国家予算の借財に、優勝劣敗の新保守主義を持ち込んだ小泉政権によって、我が国が綿々と大切にしてきた社会のあり方がぶち壊わされ、小選挙区制度という馬鹿げた制度で政治体制を変えたがために独裁型政治が誕生。いやはやである平成31年1月


冬はつとめて。いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。

枕草子の冬の描写は、冬のきびきびとした女房たちの動きが想像できて面白い。この冬の早朝の感じは、私の朝の散歩で感じる冷たさと通ずる。ピーンと張り詰め、耳も痛くなるような朝である。その朝景色は美しい。東の空がオレンジ色に染まり雪を全面にかぶった富士が金色に輝いている。木立も凛として影を欺かずだ。1時間もすれば、ゆるくぬる火もていけば、火おけの火も灰がちになり手わろし、である。きびきび、凛として、固く、カチンと音がしそうな早朝こそ冬らしい。



秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに

有名な枕草子冒頭の部分。本日11月26日は冬。しかしながら旧暦では10月19日で晩秋。朝の散歩では陽が昇るのが遅く、本県では6時31分。日の入りも16時37分。
烏の帰巣など見たことがないし、雁もまた然り。清少納言が秋を描いたのは内裏から見た西山方面、太秦の方向であろう。秋の描写では、この烏の三つ四つ、二つ三つという並べ方が何とも言えぬリズムを醸し出している。秀逸。 2018.11



野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ

野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。
立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。
大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうにこまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。… (枕草子第189段)

いやいや、今年の台風はこんなではないな。荒かりつる風の仕業とは覚えね。同感。どこかで、だれかが操作しているような台風だった。犯人は誰だ!

朝顔につるべとられてもらい水 
千代女
 
人口に膾炙している加賀の千代女の名句だが、何とも描かれている内容に心が横を向く。朝顔とは美人の意味もある。釣瓶は釣瓶でつるべ井戸。その井戸の綱に朝顔の蔓が巻き付いて、井戸の水を汲めないのでもらい水したという句だが、うーん、なんとも作者のポーズが過ぎる。美人に絡まれてなど読もうものなら、この!と肘をつつきたくなる。今年の立秋は8月7日,本日から。やや例年に戻ったようで涼しくなっている。不思議なものである。


弥生も末の七日

芭蕉の奧の細道への旅立ちは「弥生も末の七日」つまり旧暦3月27日。本日グリゴリオ暦で5月9日は旧暦3月24日。5月2日が八十八夜。5月5日は立夏、旧暦3月20日だ。芭蕉の旅立ちは初夏だった。昨日、本日の気候は3月並と報じられたが、それは旧暦1月から2月初旬のこと。寒いわけである。ついでながら旧暦では、月の終わりはつごもりで、暗闇。1日は朔日で月が出始めて、3日は3日月。15日が望月で満月。月明かりの日だ。芭蕉の旅立ちの日は暗闇に近かった。とまれ、初夏。次第に薄物の季節になっていく。



春過ぎて夏来たるらし
4月1日、すでにソメイヨシノは散り始め、我が町沼川縁は葉桜に混じって八重桜が満開だ。そして、わずかだが、御衣黄桜も満開になっている。ソメイヨシノは散りが早かった。しかしながら、ソメイヨシノが散ってもすぐに次が華やぐ。それは自然の摂理。沙羅双樹の花のいろ、盛者必衰の理を表すというところか。寒暖の差激しく、これは三寒四温で春季の特徴。でも、27度だという。夏だね。

  
春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山
        万葉集巻一 二十八 天皇 御製歌 (持統天皇)

早春 春は名のみの 風の寒さや
厳寒の2月から一挙に夏日の3月末。この気候の変化はここ数年のこと。浅草、墨田川を行き交う遊覧船の乗客には半袖が目立っています。春のうららの墨田川…。うららな春なんてありませんでしたよ。桜も4月早々に散り始めています。春には人は浮かれます。花見ではなく、酒見。酒宴に興じ、ボートに遊びです。

桜も散るになげき、月はかぎりありて入佐山 好色一代男 西鶴

春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす
歌は思えど 時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず

 
早春賦の歌い出しはピタリ。立春過ぎて、暦の上は春とは言いながらこの風の強さと寒さ。木枯らしが吹いているようだ。もっとも本日2月12日は旧暦12月27日。まさしく冬。旧暦2月3日は新暦3月19日。この日なら、立春はピーンと来ますね。因みに旧正月は今年は、中国、韓国、ベトナムでは2月16日。あちらの正月。AIRは高いですよ。
 それにしても寒い。風も強い。

行く年来る年
クリスマスのイルミネーションから大晦日、初日の出、初詣と洋風から和へと一挙に風物が転換。七福神巡りが流行だという。確かに。日本橋7福神特に小網神社は長蛇の列で数百b。六義園の伝統の獅子舞、お囃子は今年も催された。浜離宮恩賜公園では鷹放術。芝離宮では三番叟。小石川後楽園、清澄庭園も獅子舞、お神楽が演じられた。東京に残る伝統芸能。地方では衰退の一途。我が町でもおんべこんべと称する子ども行事は旧東海道を練り歩くことは許可されず、町内を回るだけ。さて、どうなる、この日本


 秋来ぬとめにはさやかにみえねど風の音にも驚かれぬる

 急な気候変化。半袖のシャツから長袖やジャケットが目立つようになった。野山も曼珠沙華が行って菊をまつ季節。
 向島百花園の萩のトンネルも終わった。10月は祭りの季節。厳寒前の一はしゃぎみたいなものだ。


梅雨
花のいろはうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに

小野小町のこの歌は、梅雨時に歌われている。「ながめ」は梅雨時のしとしとと降り続ける「長雨」を掛けている。「長雨」は「五月雨をあつめてはやし最上川」の五月雨と同じで、陰暦5月、陽暦6月から7月の梅雨をいう。しかしどうだろう。昨今の梅雨は。福岡の豪雨は、もはや「ながあめ」ではない。旅行社のアジア旅行のパンフにあったが、「雨期は一日中雨が降り続けているわけではありません」。急に激しい雨が降り出し、さあっと止んで晴天。それがスコールだが、この尋常でない豪雨は、スコールが止まらず一日中という状況だ。「ながめせしまに」「五月雨をあつめて」どころではない。気象が異常だ。それでも紫陽花は妖艶に咲き誇る。

春が往く
今年の桜は遅咲きだった。昭和の森記念公園では桜にチューリップが同時に楽しめた。桜博士は、桜は咲かないこともあるという。冬の寒さが幹の中でしっかり養分を整えながら眠っているのだそうだ。その冬の季節がないと何時までも寝ていて花を咲かせる事がないのだという。天候は異常だ。異常であることは、正常でなれば分からない。この季節の移ろいに気がつかないとしら、それも異常だ。正常でないリーダーのもとでは異常の正常化が進行する。春は往く。近江の人と惜しむくらいの情緒が人の心にほしい。

陽春間近
3月が去って行く。梅の季節が終わって、桜の季節の入口。新宿御苑の旧洋館御休所の手前の桜には、花を啄むヒヨドリが。小石川後楽園のしだれ桜は5分咲き。三寒四温で天候は不順だが、確実に春爛漫の陽春に向かっている。
 平成29年度が始まる。国会は闇の世界が世間に知られ、アメリカでは、早くもトランプ政権が行き詰まり。当然だ。世界の潮流が一国主義に向かう時、我執の対立で争乱が起きる。歴史の教えだ。世界の勢力地図はシェールガスの発掘で、大きく変わってきている。アメリカは産油国。かの国は世界でどう振る舞おうとしてるのか。危ない選択をアメリカ国民はしたものだ。

秋飛び越えて冬
この11月の気候の激減は何だろう。春・秋物の背広を楽しむことなく、一挙に冬スーツにコートだった。もみじも1週間以上早いという。異変続きだ。アメリカ大統領選では予想を覆して下品・暴言のトランプが勝利?どうも胡散臭い。何かありそうだ。フィリピン、ドトルテの急変。国を売ることになろう。東北に再び地震・津波。巨大な天変地異の予兆かもしれない。そしてカストロの死去。一時代が終わった。世界の共産主義国家は消えて共産帝国がはびこる。TOPDOWNの政策決定の速さが経済を利している。民主主義の手続きには、余りに時間がかかるし一人一人の能力も必要だ。社会のシステムに格差の不満のはけ口があるうちはいい。それがなくなった時、人工的な天変地異がおきる。秋を飛び越えて冬。歴史もそうならないように祈る。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども

長い秋雨前線。晴れ渡った空は見えないけれど、少しずつ秋はそこまでに。再び街道を歩く旅に。美濃赤坂から、美江寺、河渡と歩いた。約3万5千歩。台風一過で、晴れ渡った空の下に、白壁に杉板ばりの昔ながらの家屋などを楽しみながら、揖斐川、長良川を渡った。呂久の渡し跡に和宮降嫁のあしあと。「落ちていく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」には、加治将一氏の「幕末 禁断の絆」の一節が思い起こされて足が止まった。有栖川熾仁親王に思いを馳せていたのであろうか。


朝顔につるべとられてもらい水

加賀の千代女の代表作。釣瓶紐にあさがをのつるが巻き付いて、ちぎるのは可哀想で、それで隣にもらい水。夏らしい情緒は感じるが、どうもポーズを感じすぎるのは私だけであろうか。千代女は元禄16年に生まれ安永4年9月8日に逝った。享年72歳。16歳で女流俳人として頭角を現し、生涯1700句程を残したという。「起きてみつ、寝てみつ蚊帳の広さかな」は千代女の句として膾炙したが、これは元禄の遊女浮橋の句。辞世の句は「月もみて我はこの世をかしく哉」生誕地、白山市では、千代女あさがをまつりで朝顔の出来映えを競っているという



五月雨をあつめてはやし最上川
 
 奧の細道の中でも人口に膾炙している俳句。陰暦5月で5月雨。梅雨時の長雨をいう。当初は「はやし」ではなく「涼し」だったそうだが、そちらはやさしい。この句が詠まれたのは、元禄2年5月29日。この日は滞留する梅雨前線の影響で断続的に雨が降り続いていたという研究結果がある。最上川は水かさが増し、「水みなぎって舟あやうし」だ。その舟上の人となり、芭蕉は最上川を下っている。まさしく、たった一言で世界を変えた「名人」技だった。 2月は逃げていく月。オリンピックの年で閏年にもかかわらず、この2月の逃げ足の速さ。水仙の季節から梅の季節へ。
その梅の季節も3月5日辺りが見納めか。そして桜の季節に

梅の花、咲きて散りなば、桜花、継ぎて咲くべく、なりにてあらずや

万葉集巻五にある歌。「梅の花が咲いて散ったら、続いて桜が咲きそうになっているではないか」くらいの意味でしょう。
2月の逃げ足の速さを詠んだ歌で現在の季節にぴったりです。藥師張氏福子の作と言われています。薬師は医者のこと。



 何となく今年はよいことあるごとし 元日の朝晴れて風なし
除夜の鐘とともに浅間神社参拝、我が家の墓参り。初日の出は原の海岸へ。三嶋大社へ和服で参拝。2日は恒例の東京の正月行事と七福神巡り。今年も六義園の神田囃子、寿獅子を見て、旧芝離宮恩賜庭園で三番叟を堪能。これも例年どおり。それから急いで上野の旧岩崎邸庭園に向かい、洋館での尺八と琴の演奏を鑑賞。翌2日は七福神巡りへ。今年は港七福神。芝僧上寺を抜けて、東京タワー下の法珠院の辨財天から溜池山王の久國神社まで八社。4日は成田山新勝寺で護摩行。
 今年のトピック。暮れに旧岩崎邸で門松づくり講習に参加して、いただいた材料でミニ門松を製作。岩崎の四方竹を使用。それにこれも暮れ。伊勢から、年中飾る「蘇民将来子孫家門」を得て、我が家床の間に。今年こそ幸あれ。
盛春を待ちかねて

3月浮き立ちはやる心を抑えかねて、3月21日に神奈川県立フラワーセンターに彩りを見つけ、上野の寒桜に花を啄むヒヨドリ。メジロも発見。1週間後には、長蛇の列の小石川後楽園へ。開幕2戦目のドームの巨人戦の歓声を聞きながら、五分咲きのしだれ桜に満悦。昭和記念公園は色彩に春が。色鮮やかに春を演出していました。青春18切符はあと1回分。4月4日・5日の土日は雨模様。とほおです。千鳥ヶ淵、四谷から飯田橋の外堀通り。何とか晴れて、2015年の春を満喫したいのですが。


春を感じて

新年と思ったら、もう2月半ば。皇居平川門近くの梅には鶯が。ロウバイはもう終わり。小石川後楽園の水戸梅園は、いよいよ梅が咲き誇る時期に。葛西臨海公園には、下田爪木崎の水仙が移植された20万本の水仙が咲き始めました。2月7日はイベントデーでした。何とこの寒空にフラワーダンス。ご苦労様 


 師走 秋も終わり 赤・黄から青・白へ
 秋は彩り。赤と黄色の野山に街路樹。庭園では、六義園、旧古河庭園、小石川後楽園、深川の清澄庭園、殿ケ谷戸公園、旧岩崎邸、浜離宮恩賜公園に旧芝離宮庭園。12月7日のスタンプラリーが終了すれば、赤や黄の紅葉は散り始め、青白に黄が点滅するイルミネーションへ。季節の移ろいとともに彩りも変わっていく。


 七夕も往って

 7月6日。恒例の平塚七夕まつり。今年の飾り物はワールドカップかと思ったら、メインは黒田官兵衛。負けましたからね。金賞はわらべ唄。鎌倉明月院の紫陽花も往った。沼川縁も夏の草花に変わり始めている。いよいよ盛夏。


はなやぐ梅雨の季節

 気がついたら6月も末。今年の梅雨はスコールのごとし。激しい降雨かと思えば晴れ渡る。まるで熱帯の気候だ。この季節。菖蒲に紫陽花が咲き誇る。ファインダー越しの紫陽花は幻想的で美しい。菖蒲は華やかでなまめかしい。
いよいよ盛夏。花は盛りに初夏を迎え



 

花は盛りに初夏を迎え

2014年GWの喧噪が過ぎていった。花は盛りに初夏を迎え、常陸海浜公園のネモフィラの丘は雲天に青一色。足利の大藤は古木も花をしたらせ、昭和記念公園のチューリップは終わりを告げている。京都天竜寺のツツジはこれからが盛り。蜜を吸うハチが舞っている。紺碧の天空に白いハナミズキが鮮やかだ。詩仙堂の皐は、初夏新緑で、5月末には庭一面を鮮やかに彩るだろう。




 春は名のみか
 2014年が明けて、もう2月。葛西臨海公園の20万本のスイセンは六分咲きとか。二宮の吾妻山公園のスイセンはもう終わり時。かの地では、菜の花が満開。菜の花越しの富士に相模湾がウリだが、あいにく空はかすみ富士も霞の彼方で、地域をあげての菜の花祭りは残念だった。2月3日は節分。節を分ける日だ。月末の土曜日の鎌倉はごった返していたが、飛び交う中国語の多いこと。あちらは春節で休日。大船のフラワーセンターでは、梅がほころび、椿が開花しはじめていた。春は名のみ。いやいや例年違わず春はやってきている。



 新年あけましておめでとうございます

 2014年が明けた。元旦。地元の浅間神社へ初詣。その足で我が家の菩提寺に墓参り。そうして一寝入りした後、午前5時起床。国道1号線の陸橋の上から、私は夜明けのドラマを堪能している。
 人は勝手なもので、この初日の出を拝まんがためにカメラを手にして、こうして陸橋の上から東の空を凝視するものもいれば、浜辺に出て、初日の出に1年の誓いを立てるものもいる。昨日の日の出と一昨日の日の出と今日の日の出は変わらない。元旦の日の出だとお日様は顔を上げてくるのではない。受けるもの、見るものの中に初日の出はあるのである。
 2014年は明けた。1年に一度。思いっきりすがすがしい気分になって、新しき年の初めを祝い、決意を新たにしよう。いい出発を。



 夏をたずねて
  梅雨が明ける前の鎌倉明月院。紫陽花寺には、紫陽花にすがるカマキリをみつけた。7月21日。京都伏見丹波橋から旧京街道、奈良街道を経て、旧東海道山科の追分に至った。その中途、夏の射すような陽光を浴びて、勧修寺に立ち寄ったところ、本殿前に一服の涼景。蓮は一面に開き夏を謳歌していた。歩を進めると、サルスベリが満開。何という四季の美しさ。


 日本の夏は、祭りとともに来る
 

 5
月12日。日本三大祭(京都八坂神社祇園祭、大阪天満宮天神祭、そして東京神田明神の神田祭)の一つである神田祭が4年ぶりに開催された。5月11日が神幸祭、12日が御輿宮入。100基を超える御輿が朝から神田明神にやってくる。壮大。翌週は浅草三社祭り。町内神輿連合渡御が18日に行われ、翌日は朝6時の本社御輿の宮出しに始まって本社神輿各町渡御と続く。全身入れ墨の衆が御輿に立つようなことは神田祭りは許さない。神田明神は平将門の鎮魂の神社。6月に入り、品川神社、荏原神社の例大祭。北の、南の、天王祭だ。そうして、同日は堀切菖蒲まつりパレード。菖蒲満開の季節を迎え、あじさいへとつながっていく。日本の夏は、祭りとともににやってくる



花に鳥に 今年の春は往ぬめり

今年の桜は例年より10日ほど早く盛りを迎えました。梅は遅れ、3月17日頃が盛りだったのでしょうか。千鳥ヶ淵、九段田安門、昭和記念公園、早かったのは駒込六義園のしだれ桜で3月20日には満開。入学式前には桜は葉桜に。今年の桜狂想曲は終わりました。写真は六義園のしだれ桜をついばむ鳥。これはさだかではありませんがヒヨドリでしょうか?花鳥風月。日本の四季のすばらしさです。



 何という寒さ。

 節分が過ぎれば立春のはず。寒さと汚染物質が西北から押し寄せてきていますが、それでも季節は巡ります。2月11日は建国記念の日。この日の原宿表参道は、幼子から大学までのマーチングバンドの後に、神主を先頭にした大太鼓、山車、御輿で賑わいを見せました。この季節かと思うくらいの締め込み姿で埋め尽くされていました。
 小田原城址公園には、みぞれが落ちてくる中、スイセンの上方には白梅や紅梅が微かな香りを運び、その花びらをモズが啄んでいます。北鎌倉の東慶寺にはもう終わりに近いロウバイにサンシュユが。そして吊し雛飾りです。もう一ヶ月もすれば「大地讃頌」の歌声が聞こえてきます。もう少しで萌え出る春です 



2013年のはじめに

 13年が始まりました。今年は癸巳(みずのと・み)。癸は甲から始まる10干の最後でしめくくり。癸巳年の次には新たな30年が始まるのだそうです。また巳年には歴史的な大事件が起きています。1905年は日本海海戦において日本がバルチック艦隊を撃破。1917年にはロシアで社会主義革命。1929年は世界大恐慌で1941年には真珠湾攻撃そして日米開戦。1965年には中国で文化大革命、日本で東京オリンピック。新幹線が営業開始。1989年にはベルリンの壁が崩壊しソ連も崩壊。中国では天安門事件。日本では昭和天皇御崩御。平成が始まりました。21世紀が始まって2001年9月11日。アメリカで同時多発テロ発生。航空機4機を使った大規模テロでした。以降アフガン紛争、イラク侵攻と米軍の報復が始まりました。日本では小泉政権が発足。そして今年、2013年。癸巳。日本はどうなるでしょう。財政が破綻という予測もありますし、龍が暴れて、東アジアにはきな臭さが漂い始めていますが、大丈夫でしょうか。


 冬はつとめて

 
枕草子は春はあけぼので、冬は「つとめて」。
 何という季節感!寒く冷たい冬を好む者は少ない。おーさぶさぶと炬燵に潜り、ストーブをつけて、エアコンも暖房。
 冬の寒さは厳しい。その寒さの中をきびきびと動き回る女房たち。
 凍てついた冬の早朝は氷のように鋭く鋭角だ。まだ薄暗い中のきびきびとした人の動き。耳たぶを痛めるほどの寒さ。空気も冷気でぴーんと張り詰めている。「ぬるびもてゆけば、ひおけの火もしろきはいがちになりてわろし」。「だらり」はやはり冬には似合わない。
 「冬の水一枝の影も欺かず」(中村草田男)からも凛として研ぎ澄まされた空気が伝わってくる。


 深川八幡祭り 平成24年8月12日(日)御輿連合渡御
 富岡八幡宮の例祭は,「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられており、8月15日を中心に開催されています。今年は8月11日、12日、15日の日程でした。
 深川八幡祭りでは、3年に1度御鳳輦渡御が行われ、これを本祭りと呼んでいます。本来なら昨年が本祭りでしたが、3.11のために自粛し1年延ばし。今年は4年ぶりの本祭りとなりました。この祭りには大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、その内大神輿ばかり54基が勢揃いして8qにわたって連合渡御を行います。この道中、沿道からは豪快に水がかけられ、消防ポンプでの放水まで行われます。特に永代橋から門前仲町に至る道中は、勇壮で見応えがあります。
 御輿1番は深濱。重さ約1トン。55番が下木場。(42番は欠番)これに特別に平泉が加わっています。 


 平成24年6月10日(日)午後0時 日本橋に到着。
 平成22年1月16日に伊勢神宮を出発。 途中、中断を挟んで帰ってきました。
 丁度この日は日本橋山王祭祭典。よいしゃ、 おいしゃのかけ声に包まれての到着でした。
 お伊勢さんから拝領したお守りを明治神宮に奉納して、日本橋、伊勢外宮・内宮、往復の歩き旅は完結しました



  野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀(たてじとみ )、透垣(すいがき)などのみだれたるに、前裁どもいと心くるしげなり
                          枕草子191段
 野分けとは秋に吹く暴風のことで、いわゆる台風。立蔀、透垣が乱れ庭の前栽も見るからに無惨に倒れ伏している様子はあまりにひどい、という意味。野分けは、野を吹き分ける風、草木を吹き分ける風のことで、台風などに伴う秋の暴風を言った。古来、日本では大風とも言ったようだ。台風は、気象学的には日付変更線(東経180°)より西の太平洋、南シナ海で生まれた熱帯低気圧のうち、中心付近の最大風速が17.2m/sを超えるものを言い、ヨーロッパではタイフーン。インド洋で発生したものはサイクロン。これはギリシャ語で旋回。おもしろい呼び名はオーストラリアでウィリィウィリィ。どうしようもないやつという意味だそうである。東経180°以東では南米の風の神に因んでハリケーン。今年は台風が頻発している年。アメリカのカトリーナは政権まで揺さぶった。ウィリィウィリィだろう。台風一過。翌日はいみじうあはれにをかしけれ。


 朝顔につるべとられてもらひ水 千代女

 あさがほは万葉の時代には桔梗だった。それが木槿になって、江戸時代には現在のあさがほになった。江戸時代庶民に流布したのはi文化文政の頃で、明治になって、入谷の植木職人があさがおを見せ合ったのが入谷鬼子母神の朝顔市の発祥だ。120の出店が2万鉢を商いにかける。  
  つるべは縄または竿の先につけた桶のこと。この桶で井戸の水をくみ上げた。水汲みはきつい家事だった。
 朝顔のつるが一挙に縄にからみつくようなことはあるまい。大事なつるべを朝顔ごときに明け渡たすような風狂な人はおるまいから、これは戯作だ。優しさのポーズだと言って嫌う人もいる。
 千代女は加賀の国松任に元禄16年に生まれた。12歳の頃には岸弥左衛門の弟子になり17歳の頃には全国的に名が知れわたった。この句は朝顔の千代女の代表作で人口に膾炙した。


 五月雨をあつめてはやし最上川   ばせを

◆7月15日は旧暦5月29日。元禄2年5月29日。芭蕉は奥の細道で名句「五月雨をあつめて早し最上川」を誕生させている。元禄2年、新暦7月15日は滞留する梅雨前線の影響で断続的に雨が降り続いていた。最上川は水かさが増し、「水みなぎって舟あやうし」だった。
 昨日は、猛暑に見舞われた。まだ、雨が降り続くようだとこれは梅雨の合間の晴れ間で[五月晴れ」。
 今週にも梅雨明け宣言が発せられるのであろうか。